2代目が会社を潰すBlog

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マスコミの存在意義を問う。ジャーナリズムは本当に死んでしまったのか?

マスコミの存在意義を問う。ジャーナリズムは本当に死んでしまったのか?
 

おはようございます。台風被害はそこまで大きくなかったものの、犠牲者が出てしまったことに深く哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

#意識低い系社長 です。

 

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さて、今日はこのコロナ禍において、急速に進んだマスコミ離れ、及び報道(ジャーナリズム)についてお話したいと思います。

※ あくまでわたしの意見であり、特定の政党や特定のマスコミを誹謗中傷するものではありません。

 

1.なぜマスコミ離れが起きたか

 

第一に挙げられるのは、新型コロナウイルス感染者数の公表だと思います。

連日のように感染者が増えることを報道することで、いたずらに視聴者の不安を煽り、テレビをつけるのが嫌になった。もう、うんざり。という人はわたしを含め、わたしの周囲にも何人もいます。

一次情報を得るために厚生労働省のWebサイトや東京都、区のサイトにアクセスすることも増えました。その一方で、SNS上ではデマや風説、持論が飛び交い、まさに混迷を極めた状態でありました。

まさに情報弱者は本当の意味で生き残れない時代に突入してきたのです。

第二の要因は、スポンサー離れです。

これも新型コロナウイルスに端を発しているのですが、コロナ禍においてほとんどの企業が売上の大幅減少、先の見えない景気低迷の中、広告宣伝費を削り出したことに他なりません。

またこれには大手広告代理店も大きく影響しています。受注した事業をそのまま下部組織に丸投げするだけでマージンを取る、いわゆる「中抜き」を取り沙汰され、「こんな非常時でも私腹をこやすのか!」と多くの国民の反感を買いました。

結果として、大企業は広告代理店を利用して莫大な費用をかけた、企業コマーシャルそのものを見直し、Eコマースなど新しいコマーシャルの形を模索し始めました。

 

これらの要因により、マスコミの求心力は急激に低下しました。

 

2.報道の中立性とジャーナリズム

 

古くから議論されていた報道とジャーナリズムの中立性ですが、わたしはこれにある程度の見解を見い出しています。

ジャーナリストは、日本国内においては、日本国憲法にも定義されている通り、国民の「知る権利」に基づき「報道・言論の自由」によって何ら規制を受けることなく活動を許されています。

しかし、ジャーナリズムとは根本的に大衆迎合ポピュリズム)であってはならない。それは、時にファシズムレイシストを生んでしまい、時の公権力によってプロパガンダとして利用されかねない。」というジレンマを内包しており、中立性よりも反権力思想に囚われがちなのです。

つまり、世論に反する、俗に言う「逆張り」をしなくてはならない。少数派の意見を拡声器で大きく取り上げなくてはならない。というのが源流となってしまい、このコロナ禍でその存在の異様さが浮き彫りとなってしまった、とわたしは考えています。

さらに自身たちの飯の種である、スポンサーの意向にはもちろん逆らうことはできず、スポンサーにとって都合の悪い事実は「報道しない自由」を行使していることから、マスコミはもはや権力団体のひとつ、と見なすしかなくなっています。

 

3.政治家のSNS利用について

 

実は、わたしは某経済再生担当大臣をつい先日まで、日本を潰しにかかってるとんでも無能大臣と思っておりました。お恥ずかしながら。

ですが、大臣がSNSで公開した「新型コロナウイルス陽性者や医療従事者に対する不当な差別や偏見に断固反対する表明」を拝見して、大臣への見方がかなり変わりました。

そう、わたしも図らずもマスコミに洗脳されていたのかもしれないのです。意図的な切り抜きや、発言を見せられていたことで、無能と決めつけていた自分を恥じました。

もちろん彼の妄信的信者になったわけではなく、一部の政策には不満もありますし、もっとなんとかしてくれ、といった思いはあります。
が、少なくとも大臣の口からはっきりと「誰でもかかる可能性のある感染症であり、不当な差別や偏見は絶対にやめてほしい」と表明されたのは、大いに評価するべきだと思うのです。

そして政治家の方々は、どうかマスコミを介してではなく、ご自身でSNSで発信して頂きたい。わたしたちは妙な切り取られ方をした会見や、スポンサーによって捻じ曲げられた事実を知りたいわけではないのです。

 

4.いよいよマスコミの終焉の日

 

「個の時代」と呼ばれるようになってから、マスコミの権威は地に落ちました。そしてそれはもはや救いようのない事実であり、たまにテレビをつければ、YouTubeで見たことのある動画を流していたり、「視聴者提供」の動画を流していたり、もう完全にマスメディアとしての意味を成さなくなってしまっています。

偉そうに解釈を垂れ流すコメンテーターや芸人は、自分の発言に何ら責任を負っていません。その異様な光景に、今や右翼も左翼も関係なく、「マスコミはおかしい」の見解の一致を見るまでになっています。

さて、マスコミが終わる日はいつになるのでしょう。
そして泥舟と化した広告代理店やそれにぶら下がった利権団体の数々はどうやって次の寄生先を見つけるのでしょうか。

 

わたしたち個人がスポンサーやジャーナリストになるような時代が来るのはとても楽しみでもあり、少し不安でもあります。しかし、ある意味それこそが自由で開かれたジャーナリズムの到来かもしれません。

 

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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