弊社の紹介及びわたしの履歴書
皆さん、こんにちは。
#意識低い系社長です。
本日の投稿は、わたしが現在代表取締役を勤める、
弊社の沿革や事業内容についてご紹介させてください。
と、思っていたのですが、
よく考えたら、創業年すら知りませんでした。
そしてTwitter上でのとある方とのやり取りで、
「思い立ったが吉日で、今日を創業日にしてみては?」
との提案を受け、わたしが弊社の会社沿革紹介をしたところで、
読者側も、書くわたし自身もあまりメリットのないことに気付きました。気付かせて頂いたことに感謝致します。
ですので、簡単にやっている事だけ、ご紹介します。
弊社の業態、及び主力事業
弊社は経済産業省が定めるところの「非鉄金属製品製造業」に分類され、その中でも、金属表面加工の一工程である研磨加工に特化した会社です。
主力事業として、高級化粧品や文具の金属部品、
ネームプレートやエンブレム金具の研磨加工です。
また準主力事業として、大手容器メーカーからの発注を受け、
金属プレス加工協力会社及び、金属アルマイト加工協力会社、
に外注加工を依頼し、完成品を納品する事業も手掛けております。
主力事業の強み
本来研磨加工というものは、人の手によって一個ずつ研磨を行う、
一般的に”手バフ”と呼ばれる手法を用いるのが普通です。
これには、研磨加工のプロフェッショナルな技術が必要で、
研磨職人としての存在価値がいまだ健在です。
ですが、人の手によって製品一個ずつ研磨を行うということは、
生産性としては非常にコストがかかり、
また、職人自体も高齢化で徐々に減っていっているのが現状です。
弊社では、化粧品の金属パーツといった画一化された形状で、
大型ロット(10,000ピース以上)の金属製品を、
汎用研磨機械を導入し、半自動化することで量産対応を可能にしています。
例えば、スプレーのプッシュボタンの金属部品でしたら、
平常時で日産100,000ピース以上の研磨加工を行えます。
わたしの履歴書
わたしが弊社に入社したのは2011年、
東日本大震災後です。
以前は、中堅SIerでシステム開発及び営業を担当しておりました。
その頃弊社では、化粧品部品よりガラケーの外装部品の需要が凄まじく、一時期は金属表面処理の業界全体が、ガラケー一色となっていた時期もあったようです。
わたしの入社直後は、震災後ということもあり、
受注数も少なく、暇なんだなぁと思っていた時期でした。
ですが、震災の影響で、競合他社数社が廃業、倒産となり、
一気に案件が弊社に舞い込みました。
さらに国産スマートフォンの外装部品などの案件も重なり、
気付けば朝3時出社、22時退社という超絶ブラック企業化していました。
約1年近くその状況は続き、スマートフォンの案件が一段落した頃、先代社長より事業承継を行い、わたしが代表取締役社長となりました。
ちょうどその頃、中国人インバウンドの爆買いがブームとなり、
今度は化粧品部品の需要が凄まじいことになりました。
弊社は研磨機3台フル稼働で、日産約25万ピースの研磨加工を行ってきましたが、一昨年には、35万ピースの日産量を要求されました。東京五輪の2020年までは確実に増産体制を敷いてくれ、とのことでした。
現時点ですら土日もなくなっていた状況でしたので、
新規設備投資を企画し、図面段階から機械製造会社と、
毎日深夜まで打ち合わせをしてまいりました。
同時進行で人員の確保のため、積極的に採用活動を行い、
計6名の新規採用、及び、教育も行っていました。
設備の着工は一昨年のお盆休み中に行われ、
一昨年9月からは稼働を開始しました。
4台体制となったことで、日産35万ピースの目標値の達成、
さらなる売上増となる見込み・・・でした。
(実際一昨年の決算では過去最高の売上額を計上しました。)
ところが、昨年の夏頃から急速に注文数が減り、
取引先とも協議を進めていく中で、消費増税を見越した、
メーカーの作り溜めが一昨年のブームだった、という見解で一致。
今後は長期的に発注が低迷するかもしれない、と。
オリンピックイヤーまでまだ1年もあるのに、
今度は急遽、人員整理を行わざるを得ない状況になってしまいました。
年配者からリストラの声をかけるのは非常に心苦しいものでした。
数十年も弊社で働いてきてくださった方もいましたし、
昨年採用したばかりの方もいました。
今思うと、既にこの頃からわたし自身、うつ病の症状が出ていました。
夜は全く眠れず、明け方になって眠気が襲ってくる。
日中何をしていたのか記憶が飛ぶ。
とにかく気分が落ち込み、休日も横になったままな日々でした。
現在の状況
弊社の現状は、週休4日(内、臨時休業2日)、
3日機械3台稼働という、ひどい状態です。
一昨年日平均30万ピースだった入庫は、今や日平均5万ピースです。中国当局による再販規制、そして、消費増税。
とどめにコロナショックです。
弊社としても何とかしなければいけない、
3月頃から新規事業やBtoCへの転換など社長として提案を行ってきました。
ですが、残念なことに役員一同(家族)から反発を受け、
わたし自身の存在意義を否定された気持ちになり、
完全にうつの発症を自覚せざるを得なくなりました。
毎日、明日死のう、ということばかり考え、
まともに食事も取れなくなり、
4月にはじめてメンタルクリニックを受診しました。
現状、あまり事態が好転する兆しはなく、
周囲にも病状を話すことはできないので、
現場の切り盛りは、先代社長(現、会長)にお願いしています。
これからの白紙の履歴書
わたしは、正直日本の製造業の未来は明るくない、と思っています。グローバル化したサプライチェーンにより、
国産であるメリットが失われつつあります。
実際、メイドインジャパンのブランド力はもうないのです。
機械部品ひとつとっても、国産よりも中国産の方が性能も価格も良いモノができてきています。
ですが、今までBtoBビジネスしかしてこなかった、われわれ中小企業もBtoCに容易にシフトできるようになってきています。
わたしはネット音痴な取引先や仕入元を救うためにも、
これからのネットビジネスでの展開をプロデュースしなければならない、その使命感がわたしを突き動かしているのです。
わたし自身、プログラミングも忘れてしまったような、IT音痴な人間です。ですが、世の中には未だに手書きの請求書や領収証を出しているような、Excelも触ったことのない中小零細、個人事業主はごまんといます。
確かな技術を持っていて、これからも生き残るべき会社を失ったら、残るのは中国頼りの大手メーカー以外、焼け野原です。
メイドインジャパンのブランドを再興する意味でも、
わたしは活動を開始することを、将来の履歴書に書いて終わります。
お読み頂き、ありがとうございます。
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