名著は自分で探せ
こんにちは。
#意識低い系社長です。
読みかけの本の続きを読みたくなる動機は?
知的好奇心だったり、わくわくさせるような冒険心だったり、
ラストの展開が気になってしまうプロットの作り方だったり
いろいろあると思うけれど、
最終的に続きを読むかどうかはその人次第であり、
つまらないと思って売ってしまったり
雑誌と一緒にまとめて古紙回収行きになったりするものだ。
哲学的な考察がしたいわけではないけれど、
一度何かで一回読むことを中断してしまうこと、に着目したい。
いいところだったのに、
来客や宅配で中断した読みかけの本の存在は一瞬、
頭の中から消えてしまう。
本の存在意義ってその程度のものなのだ、
とわたしは思う。
「これは名著です。ぜひ読んでみてください。」と
渡されて本を読んだことは何度もあるけれど、
実際名著だと思ったことはただの一回もない。
つまり受け取り側の感性の問題なのだ。
本の存在はその本の中で完成された、
著者の世界観の中での物語であり、
読者はその著者の世界観と自分の存在を融合させることで、
いい本か駄文かを決める。
著者の世界観が読者の世界観と合致し、
かつその中で読者がいきいきと活動できる世界観であって
はじめて名著とされるものだと思う。
まとめると、
人に読書感想文を書かせたところで、
あくまで著者の世界観の中でのママゴトで、
読者はその著者、あるいはその物語の主人公に
自身を投影しているに過ぎないということ。
つまり、名著は自分で探せってことを言いたかった。
今日はこれで終わり。