2代目が会社を潰すBlog

#意識低い系社長が起業・経営・経済について発信するBlogです。

アルミスラグって知ってますか?

おはようございます。

#意識低い系社長 です。

皆さんは「アルミスラグ」というモノをご存知でしょうか?
恐らくアルミは分かるけどスラグって何?って方が多いのではないでしょうか。

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これが「アルミスラグ」です。

今日はこの「アルミスラグ」についてお話したいと思います。

 

1.アルミスラグとは

 

アルミ地金の打ち抜きなどで製造される、小型の加工用素材(中間製品)のことである。
「スラグ」(slug)の原義はナメクジで、そこから転じて金属の小片をこう呼ぶようになった。
ただ、日本の金属業界で単に「スラグ」というと、金属精錬工程で排出される鉱滓(slag)を指すことが通例であり、「アルミの小片」という意味を明確にするため「アルミスラグ」という語が使用される。
用途として、非常に幅広い分野で利用されている。
たとえば飲料やスプレーの缶など、絞り加工で量産されるものは、
ほぼ100%が円盤状のアルミスラグから成型されている。
アルミスラグ採用以前は、押し出し棒材を所定の厚みに輪切りにしていたが、厚みの均一化にやや難があり、量産性に劣るといった欠点があった。

(以上、wikipedia「アルミスラグ」より引用、一部改訂。)

つまりアルミニウムを原材料とした、小型のアルミ部品であり、これを二次加工(プレス、圧延)することで、アルミ缶やアルミ製の容器などに変形させていく前段階のものです。

 

2.アルミスラグの可能性

 

アルミスラグ自体、大量生産前提で成形されるモノであり、
「おひとつ、くださいな。」というモノではありません。

200キロ~300キロが1ロットとなり、とても個人で購入するようなものではありません。BtoBビジネスで、アルミ素材屋さんから信用されなければ、入手することは困難で、一般の人の目に触れることはほとんどない、といって良いでしょう。

ですが、今回特別にわたし個人で入手することができるかもしれない、というお話を頂きました。これも長年お付き合いさせて頂いた縁あってのものです。ありがたいお話です。

アルミニウム合金は展延性や可鍛性が高く、ヤスリで削ったり、ハンマーで叩いて容易に形状を変えることができる優れた金属です。

つまり、このアルミスラグに対して機械的加工ではなく、人の手によって自由な加工を施すことが可能なのです。

 

3.鍛冶職人の体験共有

 

わたしは先日からTwitterで「鍛冶士」と名乗るようになりました。

それは、このアルミスラグを使った鍛冶体験を、皆さんと共有していきたいという思いからです。

世界は今あらゆる技術がロボット化、AI化、省力化され、
ハイテク技術によってほとんどの製品が人の手を介することなく、世に送り出されていきます。

しかし、金属加工技術の根本のローテクである鍛造や板金、溶接、切削、研磨、こういった体験なしにハイテクは語れません。

粘土であれば、人の手によって簡単に造形することも可能です。
しかし、金属の加工には力も根気も繊細さも求められます。
この大変さを楽しんで頂きたい。お子様がいらっしゃるご家庭であれば、
ぜひお子様と一緒に金属で形を作ることの面白さを経験して頂きたい、
そう思って現在、「アルミスラグからモノを作る」というプロジェクトを進行しています。

 

4.わたしの夢

 

わたしが目指しているのは、研磨剤をネットで売って稼ごう、ではなく、
ハイテクばかりに目が行きがちな現代で、

「あえてローテクの体験をして、ハイテクの前提を学ぶ」

という、体験共有型のプラットフォームを作ることです。

これは損得勘定抜きに、皆で情報共有をして、出資しあって、
後世に伝えていきたい「ものづくり」を保存し守るためのプロジェクトとして、ご賛同頂ける方にはどんどん参加して頂きたいと思っています。

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。
近日中に何かお見せ出来るように一歩ずつ前進してまいります。

👇 よかったら見ていってください(次の動画は来週月曜投稿予定です)

 

経団連会長による「政府の財政健全化」への言及について

おはようございます。一晩経ってもまだ腹の虫がおさまらない、

#意識低い系社長 です。

 

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「財政健全化」というと、まるで良いことのように聞こえますよね。
例えば、企業が財政健全化することは良いことですし、個人にしても、
財政健全化することで蓄財や投資ができるようになる、と考えられます。

ところが、皆さんにお分かり頂きたいのは、
「政府の財政健全化」≒「増税です。
反対意見ももちろん、承知の上ですが、根本は「増税ありき」です。
そして、それを「経団連」という組織が言及するということは、
法人税は据え置きか下げて、所得税や消費税を上げる、ということです。

 

1.法人税

 

政府の基本方針として、法人税は昭和59年の43.3%(中小は31%)をピークに下げ続けており、現在は、23.2%(中小は19%)(※コロナ特例を除く)
にまで減少しています。
要は企業に対しての課税を和らげる代わりに、設備投資や事業への投資を促しているわけです。

これは決して悪いことではなく、企業に対して重税を課すことは新規事業や、設備投資への借り入れ額も減少させることに繋がり、景気の悪循環を生むのがはっきりしています。また外資の日本企業に対する投資や、日本進出へも妨げとなるので、法人税を軽くすること自体は悪いことではありません。

 

2.所得税

 

一方、所得税を見てみましょう。
源泉税徴収対象者は、ある一定の月給所得者に対して課せられます。
所得税は基本、累進課税となっており、月給が高い方ほど多く徴収される仕組みになっています。
ざっくりと言うと、平成19年~平成26年までは、
・年収195万以下 5%
・年収333万以下 10%
・年収695万以下 20%
・年収900万以下 23%
・年収1,800万以下 33%
・年収1,800万以上 一律40%


平成27年以降は、
・年収195万以下 5%
・年収333万以下 10%
・年収695万以下 20%
・年収900万以下 23%
・年収1,800万以下 33%
・年収4,000万以下 40% ←New
・年収4,000万以上 一律45%

上記に復興特別税などが合算され、所得に応じて一定の控除額(税金徴収の対象外となる収入)があって、住民税、社会保険料を払って、はじめて手取り額、となるわけです。

推移を見ても平成9年以降は減税となっており、税率もほとんど変動していません。年収900万の壁というものがあるという意味がお分かり頂けたかと思います。(国が考えている中間層は年収900万ということです。)

消費税については皆さんご存知でしょうから割愛致します。

 

3.現状を見ると

 

現状では個人消費の冷え込み、企業の設備投資がかなり落ち込んでいると予想されている一方、
ハイテク産業や次世代通信関連が一気に業績を伸ばしている状態で、
株式市場にも、個人投資家がかなり増えてきている印象を受けます。

つまり、明暗がはっきりしてきているのです。

ハイテクや次世代銘柄に人やモノ、金が集中し、ローテクや衰退産業は縮小化する傾向にあります。

金融市場はそれでいいのですが、国家として見たときに、第一次産業第二次産業の空洞化は、格差社会が増長し、さらなる問題や歪みを生みかねません。

そして、コロナ禍における消費喚起の特効薬は、減税、免税、納税の猶予です。他に考えられません。

ここに来て、最低賃金の引き上げや政府の財政健全化を謳うのは一向に構いませんが、今までなんとか雇用を維持してきた、中小零細は一気に人を切るしかなくなるでしょう。

以前にも書いたかもしれませんが、最低賃金労働者は「単純作業」≒「誰でもできる仕事」であることが多く、その賃金の引き上げは、労働者が生み出す付加価値が引き上げられていなければ、中小企業にとっては雇用がデメリットでしかなくなります。

 

4.まとめ

 

話が広がりすぎましたが、
今回わたしがお話したかったのは、

・ 政府の財政健全化は(今は)全く必要ない
・ 安易な最低賃上げは失業率の増加に繋がる
・ 景気循環のために減税、免税を

この3点です。

そして、この収束の見えない状態で「経団連」や「財務省」が「財政健全化」を言い出すのは、正直予想はしていましたが、マジで言うとは思いませんでした。

 

取り留めもない愚痴になってしまいました。
ここまで読んで頂きありがとうございました。

👇 よかったら見ていってください。(ワンクリックでもありがたいです)

 

マスコミの存在意義を問う。ジャーナリズムは本当に死んでしまったのか?

マスコミの存在意義を問う。ジャーナリズムは本当に死んでしまったのか?
 

おはようございます。台風被害はそこまで大きくなかったものの、犠牲者が出てしまったことに深く哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

#意識低い系社長 です。

 

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さて、今日はこのコロナ禍において、急速に進んだマスコミ離れ、及び報道(ジャーナリズム)についてお話したいと思います。

※ あくまでわたしの意見であり、特定の政党や特定のマスコミを誹謗中傷するものではありません。

 

1.なぜマスコミ離れが起きたか

 

第一に挙げられるのは、新型コロナウイルス感染者数の公表だと思います。

連日のように感染者が増えることを報道することで、いたずらに視聴者の不安を煽り、テレビをつけるのが嫌になった。もう、うんざり。という人はわたしを含め、わたしの周囲にも何人もいます。

一次情報を得るために厚生労働省のWebサイトや東京都、区のサイトにアクセスすることも増えました。その一方で、SNS上ではデマや風説、持論が飛び交い、まさに混迷を極めた状態でありました。

まさに情報弱者は本当の意味で生き残れない時代に突入してきたのです。

第二の要因は、スポンサー離れです。

これも新型コロナウイルスに端を発しているのですが、コロナ禍においてほとんどの企業が売上の大幅減少、先の見えない景気低迷の中、広告宣伝費を削り出したことに他なりません。

またこれには大手広告代理店も大きく影響しています。受注した事業をそのまま下部組織に丸投げするだけでマージンを取る、いわゆる「中抜き」を取り沙汰され、「こんな非常時でも私腹をこやすのか!」と多くの国民の反感を買いました。

結果として、大企業は広告代理店を利用して莫大な費用をかけた、企業コマーシャルそのものを見直し、Eコマースなど新しいコマーシャルの形を模索し始めました。

 

これらの要因により、マスコミの求心力は急激に低下しました。

 

2.報道の中立性とジャーナリズム

 

古くから議論されていた報道とジャーナリズムの中立性ですが、わたしはこれにある程度の見解を見い出しています。

ジャーナリストは、日本国内においては、日本国憲法にも定義されている通り、国民の「知る権利」に基づき「報道・言論の自由」によって何ら規制を受けることなく活動を許されています。

しかし、ジャーナリズムとは根本的に大衆迎合ポピュリズム)であってはならない。それは、時にファシズムレイシストを生んでしまい、時の公権力によってプロパガンダとして利用されかねない。」というジレンマを内包しており、中立性よりも反権力思想に囚われがちなのです。

つまり、世論に反する、俗に言う「逆張り」をしなくてはならない。少数派の意見を拡声器で大きく取り上げなくてはならない。というのが源流となってしまい、このコロナ禍でその存在の異様さが浮き彫りとなってしまった、とわたしは考えています。

さらに自身たちの飯の種である、スポンサーの意向にはもちろん逆らうことはできず、スポンサーにとって都合の悪い事実は「報道しない自由」を行使していることから、マスコミはもはや権力団体のひとつ、と見なすしかなくなっています。

 

3.政治家のSNS利用について

 

実は、わたしは某経済再生担当大臣をつい先日まで、日本を潰しにかかってるとんでも無能大臣と思っておりました。お恥ずかしながら。

ですが、大臣がSNSで公開した「新型コロナウイルス陽性者や医療従事者に対する不当な差別や偏見に断固反対する表明」を拝見して、大臣への見方がかなり変わりました。

そう、わたしも図らずもマスコミに洗脳されていたのかもしれないのです。意図的な切り抜きや、発言を見せられていたことで、無能と決めつけていた自分を恥じました。

もちろん彼の妄信的信者になったわけではなく、一部の政策には不満もありますし、もっとなんとかしてくれ、といった思いはあります。
が、少なくとも大臣の口からはっきりと「誰でもかかる可能性のある感染症であり、不当な差別や偏見は絶対にやめてほしい」と表明されたのは、大いに評価するべきだと思うのです。

そして政治家の方々は、どうかマスコミを介してではなく、ご自身でSNSで発信して頂きたい。わたしたちは妙な切り取られ方をした会見や、スポンサーによって捻じ曲げられた事実を知りたいわけではないのです。

 

4.いよいよマスコミの終焉の日

 

「個の時代」と呼ばれるようになってから、マスコミの権威は地に落ちました。そしてそれはもはや救いようのない事実であり、たまにテレビをつければ、YouTubeで見たことのある動画を流していたり、「視聴者提供」の動画を流していたり、もう完全にマスメディアとしての意味を成さなくなってしまっています。

偉そうに解釈を垂れ流すコメンテーターや芸人は、自分の発言に何ら責任を負っていません。その異様な光景に、今や右翼も左翼も関係なく、「マスコミはおかしい」の見解の一致を見るまでになっています。

さて、マスコミが終わる日はいつになるのでしょう。
そして泥舟と化した広告代理店やそれにぶら下がった利権団体の数々はどうやって次の寄生先を見つけるのでしょうか。

 

わたしたち個人がスポンサーやジャーナリストになるような時代が来るのはとても楽しみでもあり、少し不安でもあります。しかし、ある意味それこそが自由で開かれたジャーナリズムの到来かもしれません。

 

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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人事教育について

おはようございます。

#意識低い系社長 です。

今日は人事教育についてお話をしたいと思います。

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1.人事教育の基礎

 

人事教育とは、自分の会社に対する忠誠心、仕事に対する誇り、そして円滑なコミュニケーションを取れるように教育をすることです。

決して、「仕事の進め方」だけを教育だとは思わないでください。

新卒、既卒、中途に関わらず、新規に採用をした人は、入社してすぐに会社に忠誠を誓う人はいませんし、仕事を誇りに思う人はいません。

もちろんスカウトした人材や、企業側から声をかけた人材は別です。
それはその対象者が既に「仕事ができる」と評価されているからです。
ただ、ほとんどの場合は応募者を企業側が選定します。
その選定基準については、全く別のお話なので、今日は割愛します。

話を戻します。

新しく採用した人は、基本的に真っ白な状態です。そこに会社の社風や配属先に必要なスキル、ビジネスマナーや上司との面談などを叩き込むわけですが、最も重要なことは、「新規採用者は受動的である」ということです。

採用する側からすると、積極的に動け、自発的に考えろ、といった具合に、新規採用者に対して「能動的な態度」を期待しますが、これは大間違いであり、真っ当な人事教育ではありません。

「受動的」である新規採用者に対して、人事教育側が「積極的」にアプローチを行うことで、新規採用者は徐々に「能動的」に変化していくのです。

 

2.人を積極的にするためには

 

山本五十六の言葉にもあります通り、

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ。」

ご存知の方も多いとは思いますが、実はこれには続きがあります。

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」

つまり、人事教育において、

新規採用者へ、
「まずは教育側が」やってみせて、
「教育側がきちんと体系立てて」言って聞かせて、勉強してもらって、
「出来るか分からないけれども」やらせてみて、
「結果がどうであれ、いいところを見つけて」褒めてやる。

ことが大前提です。

子ども扱いするな!と新規採用者から怒られるかもしれませんが、人間の心理とはこういうものなのです。
大人になってから面と向かって褒められたことのある人、どれくらいいますか?

さらに、山本五十六の言葉に続けば、

「教育者が」新規採用者と話し合い、
「教育者が」新規採用者の話や感想に耳を傾け、
「教育者が」新規採用者をのやることを承認して、任せておく。

「教育者が」新規採用者が頑張ってる様子を見守り、感謝して、
「教育者が」新規採用者を信頼していることを言葉で表す。

これでやっと、新規採用者は積極的に動き、自発的に発言を行い、会社にも忠誠心を持つようになり、部下として立派に成長してくれるでしょう。

 

3.人事教育を行う上で

 

先述した通り、教育者とはかくも大変なものなのです。

なぜ大変かって、人を育てることは画一化された作業ではないからです。

千差万別、人によって生まれも育ちも性格も全て異なります。
その特性を掴み、人心掌握術に長けた人間でなければ、教育者は勤まりません。いくら仕事ができる人でも、いざそれを人に教えてみろ、と言われてもできる人はほとんどいないのです。

教育者は教育者になるためのトレーニングが必要です。
人事教育者を育成できるのは経営者か経営者に近い人物でなければ、意味がありません。経営者の考えを深く理解し、それを採用者に噛み砕いて説明を行える人物でなくてはいけないからです。

そんなことに時間を割けない、という会社は一代きりで終わります。
もっと言ってしまえば、究極、会社という組織は経営者の考えや理念、理想を叶えるための機関であり、従業員は皆それに賛同していなければ必然的に経営者の寿命と共に消滅します。

つまり、経営者の考えや理念を後世に残したいのであれば、経営者自ら人材育成を行わなくてはなりません。これは会社の存続以上に重要なことのはずです。

 

4.まとめ

 

わたしは経営者としての目線も、従業員としての目線も、中間管理職としての目線も、経験してきました。

それで言えることは、世の中のほとんどの経営者は「経営理念」がないことです。中小企業の社長は9割方、「金のため」と答えるでしょう。

その程度なのです。世の中を良くしたい、便利にしたい、楽しくしたい、と思い努力している経営者なんてほとんどいないのです。

わたしは「金のため」でも別に構いはしません。ですが、「経営理念」のない会社は長続きできません。従業員もどこを見ていいのか分からないからです。

今後、後継者不足による中小企業のM&A、廃業、統廃合、倒産、はどんどん増えるでしょう。失業者も多くなるかもしれません。

ですが、それでいいのかもしれません。今まで経営らしい経営をしてこなかったツケが回ってきたのです。
わたしたちは、まっさらな大地から仕事を作りましょう。
そして二度と同じ轍を踏むことのないよう、新しい考え方に基づいたきちんとした経営をしましょう。そうすればわたしたちの子ども世代にそのツケを支払わせずに済むはずです。

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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道端に捨てられたマスクに見る、匿名のモラル

おはようございます。

#意識低い系社長 です。

 

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最近、道端にポイ捨てされたマスクをよく見かけます。一度使用されたマスクはそれ自体が「医療系廃棄物」として、特別な扱いをしなければならない、危険物です。どこの誰が使用したのか分からないマスクは、拾った人が何らかのウイルスに感染する可能性もあり、大変危険です。

ポイ捨ては絶対にしないようにしてください。
(※ 本来は家庭ゴミに出すことすらNGなんです。)

 

今日はポイ捨てされたマスクに見る、不特定人物のモラルについてお話したいと思います。

 

1.ポイ捨てをする心理

 

タバコ、空き缶、ペットボトル、飲食物の容器、包装紙、これらはポイ捨ての代表格ともいえるゴミたちです。

では、なぜ「ポイ捨て」は行われるのでしょうか。

わたしなりに「ポイ捨て」をする人の心理を分析してみました。

 

・偶然近くに捨て場所がなかった。

「近くにゴミ箱があればそこに捨てたけど・・・
 近くになかったからポイ捨てした」
これが恐らく最も多い要因になると思います。
この偶発的ポイ捨ては常習ではなく、本当にたまたま、その時そうしてしまった。という場合が多いのかもしれません。
そして、悪いことをした、と少し反省をしている場合すらあります。
しかし、どう擁護しても、やはり誰かが片付けてくれるだろう、という前提、もしくは風と共にどこかへ行って自然分解されるだろう、などといった妄想に近い願望を持っていたりします。
そんなわけあるかい!

・悪意のないポイ捨て習慣

「ポイ捨ての何が悪いの?」
こう考える人たちもいるでしょう。
要は「ポイ捨て」に悪意のない人たちです。
この人達はとてもやっかいで、「公道はみんなのもの、だから別に悪いことしてない。」と自分の中での正当性(!?)を持っています。
いわゆる汚部屋の住人はこれに近い考えを持っています。「自分は汚いと思わない。だから他人からどんな汚く思われても平気。」
こうした考えは自分の部屋の中で完結するだけならまだいいのですが、他人に迷惑をかけている、という発想にまで思考が至っていないのです。
結果として、外で歩きながら食べ散らかしてゴミは植え込みにポーイ。みたいなことを平然とやってのけます。
こういう人たちの意識改革は非常に難しく、法律によって取り締まられてはじめて「悪いこと」と認識する、という人たちですので、公権力によって取り締まって頂く他ありません。

・悪意のあるポイ捨て

「誰かが片付けてくれるだろう」
「これ(俺・わたし)ぐらいはいいだろう」
こういう考えに基づいてポイ捨てをする人は、「悪意を持って」ポイ捨てしています。
初等教育の授け直しが必要です。(=小学校からやり直せ!)
「ゴミは自分で片付ける」、これが原則です。
誰かが片付けてくれるだろ、などと考えている時点でその人はどこかの他人に迷惑をかけているのを自覚しているはずです。
悪いことを分かってやっているのは、犯罪です。
これは決して誇張などではなく、「ポイ捨て」は犯罪です。
軽犯罪法廃棄物処理法に抵触し、罰則もあります。
分かっててやっているのであれば、すぐにでも習慣を改めるべきです。

 

2.不特定・匿名による隠秘性

 

「ポイ捨て」をする心理は説明した通りですが、
実際に衆人環視の元、「ポイ捨て」を堂々と行える人はわずかです。

それは、雑踏の中、あるいは、夜間や人通りの少ない中、不特定・匿名性が担保されているからに他なりません。

ネットでの書き込みもそうですが、実名や顔を晒して発言する人よりも、
動物やイラスト、ハンドルネームのアカウントの人の方が攻撃性が高く、
過激な発言を行います。
それは自身の匿名性を担保にしているからであり、実名で同様の発言が行える人はほとんどいないはずです。

あくまでも自身に被害が及ばない、安全領域からの「悪意」であり、「ポイ捨て」も同様です。

 

3.マスクをポイ捨てすること

 

先述した通り、マスクは「医療系廃棄物」、いわゆるバイオハザードゴミです。適切に処理しなければいけない廃棄物であり、ポイ捨てなど言語道断です。

ようやく「マスク騒動」も沈静化し、コンビニでも売っているのを見かけるようになってきました。
ですが、市中に行き渡った途端、マスクのポイ捨てを見かけることになろうとは思いませんでした。

「日本人はキレイ好き」「道にゴミひとつ落ちてないんでビックリしたよ」

よく日本を持ち上げたい番組が外国人にインタビューして、答え「させる」回答例です。マスコミがこの手の印象操作を行っているのは、もはやバレバレですので、正直に言って、今の日本はどこかおかしくなっていると思っています。

ポイ捨てするくらいなら最初からノーマスクで結構。
その人とは直接会話をすることもないでしょうし。

とにかく、ポイ捨てされたマスクを拾う人の気持ちになってください。
わたしは今日からミニトングと小さいゴミ袋を持参してウォーキングをするようにしています。ポイ捨てされたマスクやタバコの吸い殻を拾うためです。今朝のウォーキング(3キロ)でマスク3つタバコ10本以上拾いました。

これのどこが清潔な国ですか?

 

日本バンザイ、クールジャパンの前に「日本人としての道徳心・矜持」を思い出してください。わたしの心からのお願いです。

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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半沢直樹を見なくなったわけ。

おはようございます。

#意識低い系社長 です。

 

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タイトル通り、先週から半沢直樹の視聴をやめました。
え、なんで?と思われる方も多いでしょうし、「半沢直樹」というスマッシュヒットドラマに乗っかった記事はPVも取れていました。

ですが、もう見たくなくなったのです。

 

今日はその理由についてお話します。

 

1.サラリーマンとしての働き方

 

半沢直樹」は銀行マンとして現状、エリートコースに乗っている「成功している」サラリーマンです。(敵は多いですが。)

上司に楯突くサラリーマンはドラマの世界だけの話です。

現実でやれば、査定に響き、下手すれば降格、訓告、減給すらありえます。
会社組織とはそれで成り立っているのです。

半沢直樹」はあくまでフィクションで、現実でできないからこそ、痛快で勧善懲悪の時代劇として人気を博しているのだと分析しています。

しかし、現在においてサラリーマンは会社に対しての忠誠心を失いつつも、会社にしがみつかざるを得ない人たちが多くいます。わたしでもそうするでしょう。
理由は単純で、会社組織の中でしか仕事ができないからです。
会社にある設備、会社の看板、同僚、上司、部下、自身の肩書なくして仕事を成し遂げられないのです。(ここでの仕事とは、日常の仕事ではなく、納品をしてお金をもらう、までの仕事です。)

サラリーマンは会社をやめたら、会社の看板も肩書も全て失い、自分でポートフォリオを作り、自分というブランドデザインを行い、それを持って自ら営業し、案件を獲得しなくてはなりません。

その働き方自体に賛否はあるとは思いますが、サラリーマンより余程大変でしょう。まずセルフプロデュース能力を持っているサラリーマンなんてごく僅かです。

そんな環境下で、半沢直樹」において組織に固執するキャラクターたちを見ているのが辛くなった、というのが一因です。

 

2.企業の財政再建を見ているのが辛い

 

劇中に登場する「帝国航空」は大企業です。そこでの「財政再建」は、身を切るようなプロジェクトが目白押しです。

わたしは昨年、コロナ禍以前に消費増税での大幅受注減を予測していたので、9月頃から社員の退職勧奨という名の整理解雇を断行しました。

客観性と妥当性を持たせるために役員報酬のカット(わたし自身の報酬は約7割カットしました)、固定費の削減、車両売却等も行いました。それでもなお、人減らしをする必要があったのです。

昨年までは毎晩遅くまで残業するほど仕事が山積みで、いくら人がいても足りないぐらいの仕事量でしたが、わたしのような下請けの下流製造業は、景気が悪くなるのが分かるのが他の会社より早いんです。

大手メーカーは半年先、1年先の企画を注文してくるので、わたしたちに仕事が来るのはその半年、1年前に注文が来るのです。ですので、明らかに昨年の7月頃から受注が減ってくる見通しがあったのです。

一昨年設備投資した新しい製造ラインの稼働停止をしなくてはならない。つまりその製造ラインに関わる人員は整理解雇しなくてはならない。非情な決断ですが、そうせざるを得ませんでした。

わたしには肩を叩いた社員のうらめしげな目が未だに瞼に浮かびます。しかし、口でいくらわたしが正当性を主張しても、他にも社員はいるのになぜ自分が?と思われるのも当然ですし、慈悲を請われたり、罵声を受けることもありました。忙しいときの苦楽を共にした従業員に引導を渡すのは、苦しいなんてものでは表せませんでした。

その頃から、わたしは夜眠れなくなり、精神的に不安定化してきました。

半沢直樹」において「帝国航空」の再建には、会社の資金を横領する確固たる悪がいました。それは罰せられるべきですし、そこまではよかったのですが、やはり従業員のリストラ、となってくるとわたしにとっては、もはやトラウマでしかないのです。

 

3.日本を覆う「働きたくない」という病魔

 

今の日本には「働かないで楽して暮らしたい」というムードが蔓延し、目の前の仕事に死にものぐるいで取り組む、というのは昭和の風潮で、「悪」とみなされるような論調が多くなってきました。

わたしは以前から、『会社組織自体、常に生産性の向上と効率化に務めなければならない。そしてそれは人の強さを引き出すマネジメントによって最適化される』、というドラッカーのマネジメント論を経営の柱として考えていましたので、骨太の経営計画書を作ってきていました。

 

「働かなくても国から給料が補償されるんなら、もっと休めばいいのに」

 

これは先日、弊社従業員が放った言葉です。

今まで築き上げてきたわたしの経営計画とはなんだったのか。

働き方改革関連法案」についてもそうです。なぜ、国が「働き方」を定めるのか。ブラック企業を撲滅したいというのは分かります。しかし、待遇が不当だと思うのであれば、そんな会社は辞めればいい。労働者のごく当たり前の権利です。人がいなくなれば当然ブラック企業は淘汰されます。

文句を言いつつ、働いているのは、「そこでしか働けない」からに他なりません。「誰でもできる仕事」は待遇が悪いのは当たり前です。
「人が嫌がる仕事」≒「誰でもできる仕事」なのです。

国家資格所持者やエリート大学卒業者、特定分野の秀でた能力者は当たり前に高給取りになります。それはその他大勢よりも、個人の能力が高く、生み出せる価値が何人分にもなるからです。

そしてそんな能力者ほど、常に仕事をしています。残業代なんて気にしてもいません。なぜならば自分が社会を動かしている実感があるからです。雇われの身でありながら、ほぼ経営者のような視点で物事を考え、職務を遂行しています。

半沢直樹」では、どうにも「仕事をしない」上司像が多く描かれており、だんだんと見てるのがしんどくなった、というのが最後の一因です。

はっきり言います。

今日本を覆う「働きたくない」ムードは国を滅ぼします。

がむしゃらに、ひたむきに、働きまくったから日本は戦後復興や震災復興ができたのです。ひとりひとりが今やっている仕事に自信と誇りを持ち、努力や精進を惜しまない世の中になることを祈ります。

 

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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【現代に甦れ、鍛冶職人!】~ネットゲームの鍛冶士のイメージってどんなだった?~

おはようございます。

#意識低い系社長 です。

今日は主にネットゲーム回顧録です。

 

 

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数あるゲームやアニメに「鍛冶士」という職業がでてきます。
これらはほとんどが「剣」や「防具」を作るための職業であり、
古代~中世ヨーロッパの「鋼鉄」を鍛造するイメージからきています。

「鋼鉄」いわゆる、SteelはIron(鉄)に炭素を含有させた合金であり、鉄と比べて、強靭で加工性も向上します。世界で初めて鋼を開発したのは、紀元前1400年ごろのヒッタイトであると考えられていて、アナトリアを中心に鉄を主力とする最初の文明を築いた、とされています。

この製法は厳重に秘匿されていたものの、前1200年のカタストロフと呼ばれる大動乱によって紀元前1190年頃にヒッタイトが滅亡すると、製鋼技術はヒッタイトを滅ぼした海の民や、エジプトやメソポタミアといった近隣の諸国へと伝播し、さらにそこから遠方へと伝わっていったとされています。

ヒッタイトと聞くと、スキタイ、スキタイと聞くと、エウメネスって人はわたしと握手。

そんなこんなで今日は、わたしが今までプレイしてきたゲームでの
「鍛冶士」ってどんなんだったか、そしてこれからの「鍛冶士」について
色々思い出しながら書いてみたいと思います。
(※あくまで個人の感想です。)

 

1.Master Of Epic

 

今はなき、ハドソンが開発した純国産MMORPGである、「Master Of Epic」(通称、MoE)というネットゲームは、なんと今年で14周年という長い歴史を持つネットゲームです。

同時期にはじまったネットゲームの大半はサービス終了をしているのですが、未だに根強い人気のあるゲームです。

このゲームの面白い点は「完全スキル制」であるという点です。通常ゲームではレベル要素があり、敵を倒してレベルがあがることで徐々に強くなることに達成感を得るものですが、この”MoE”においては約70個あるスキルのうち、「850」という全スキル値の合計値の上限が決められており、全部のスキルをマスターすることは不可能で、いくつかのスキル(スキル1つあたり100が上限)を選んでキャラクターを成長させていくというシステムなのです。

つまり、ある程度何かに特化したキャラを作らないと、器用貧乏で何もできないという現実に直面してしまうのです。(この辺が妙にリアルで好き。)

また、もうひとつ特筆すべき点は「武器」や「防具」が一生使えるということはない。という点です。”MoE”において装備は最大耐久度が決まっており、使っていくうちに摩耗するので、修理をすると最大耐久度が減っていきます。最終的に耐久度がゼロになると、装備は壊れゲームから消滅します。つまり、ほとんど全ての装備が消耗品なのです。

そこで「鍛冶屋」の出番となるわけです。

"MoE"において「生産」キャラを作る≒非戦闘員になってしまいます。
(極稀にガチで戦う鍛冶屋もいますが…)
スキル効率を考えた上で、生産キャラは生産系スキルに特化した方が効率が良くなるので、必然的に鍛冶屋は、鉱石を掘り、インゴットに加工し、武器や防具を作るという型に落ち着きます。

さて、鍛冶屋を作るぞ!と決めて修練を重ねていくと、完璧な仕上がりの装備ができることがあります。これには自分の<銘>が入ります。これが完成し、他の人に買ってもらって使ってもらってたときの喜びはこれ以上ありません。

ある意味で経済の流動と自己承認欲求を同時に発生させることのできるこのシステムは他のゲームではあまり見られません。

もうわたしはプレイしていませんが、これからも何らかの形で残って行って欲しいゲームのひとつです。

 

2.ラグナロクオンライン

 

”MoE”とは打って変わってラグナロクオンラインでの鍛冶士は生産はあまり重要視されておらず、どちらかというと戦闘に特化したスタイルが多いです。他の職業にはない、カートを持つことができ、所持できる荷物量は他職に比べてダントツです。

ラグナロクオンラインにおける「鍛冶士」はブラックスミス(通称、BS)といい、斧や鈍器を持ち、「アドレナリンラッシュ」という攻撃速度を上げるスキルで敵を高速で撲殺するタイプ、「メマーナイト」という所持金をぶん投げて攻撃する、ブルジョワジーな戦い方をするタイプ、に大分されます。

さらにLv99になり、転生をするとホワイトスミス(通称、WS)になり、カートで敵をぶん殴る「カートターミネーション」という強力なスキルを使えるようになります。

WSからさらに転生をすることで、三次職であるメカニックとなり、パワードスーツのようなロボットに搭乗したり、範囲の敵をまとめてなぎ倒す「アックストルネード」というとんでも火力スキルを手にすることができます。

つまり全体を通して戦闘に特化したクラスです。まさに「戦う鍛冶士」です。パーティープレイでもソロでも中心的な火力や補助ができる万能クラスといって良いでしょう。

ラグナロクオンラインにおいてはレベリングがコンテンツの大半ですので、レベリングと同時にお金を稼ぐことのできるブラックスミスは非常に人気のある職業です。

 

3.マビノギ

 

2004年よりサービスを開始したマビノギは今年でなんと16周年という長寿なMMORPGです。現在はプレイ人口は減っているものの、サービスは続いています。

マビノギは"MoE"と似ている点として、「スキル制」ですがマビノギにスキルの上限はありません。つまり1キャラクターで全スキルをマスターした万能キャラを作ることができます。また、マビノギでは転生を繰り返すことでスキルのレベルアップに必要なポイントを得ることができるので、メインコンテンツとしては、「スキルの修練」が主力になります。

「鍛冶士」として見たとき、特筆すべきは「鍛冶と精錬の修練」のマゾさです。

どちらもスキルを上げていくことで、永続した基本ステータスをあげることができるので、最終的にはやらなければいけないスキルになっていくのですが、スキルをランクアップするための修練が非常にマゾい内容になっており、大量の時間とお金がかかることで有名です。

わたしはどちらもプレイ当時、レベル1まで頑張りましたが、(※F→E→D→C→B→A→9→8→7→6→5→4→3→2→1の順でランクアップします。)

今思い出しても憂鬱になるぐらいにきつかったです。
寝ても覚めてもひたすらに鉱石を掘り、売れない防具を作っては捨て、を繰り返す悪夢のような作業でした。

まぁそんなマゾゲーも時とともに割りと楽にあげられるようになったとか。
最近はもうプレイしていないので分かりませんが、
かけた時間だけ、自分のキャラクターに対しての愛着は最も湧いたゲームでもあります。

 

4.FFXIVファイナルファンタジー14

 

いわずと知れた、日本最大級のMMORPGであり、現在もプレイ人口はおそらく日本一位をドラクエ10と争っているのでしょう。

過去、わたしはレガシーと呼ばれる、旧FFXIVプレイヤーでもありました。
FFXIVでは、本当にゲームとしては未完成といえるレベルな部分も多く、
「鍛冶」をやっていても何のためにやっているのか、よく分かりませんでした。

それから時は流れ、FFXIVに対し大規模なテコ入れが行われ、世界観含めゲームデザインを1から全て刷新し、新生エオルゼアとして生まれ変わってからも遊びました。今までプレイしていたキャラを捨て、全くの新キャラで。

新生FFXIVにおける「鍛冶士」はクラフターと呼ばれるジョブの中の一種で、わたしがプレイしていた当初は、やはりモノを作るメリット自体あまりなく、「日課」として少しずつクエスト報酬をもらうための鍛錬のお時間的な存在でした。

今では恐らく様々な改良がなされているのでしょうが、高難易度コンテンツと「日課」の苦痛に耐えかねて、ログインすることをやめてしまいました。

今も光の戦士(ファイナルファンタジー14プレイヤーのこと)たちは、日々思い思いの楽しみ方をしているのでしょう。

 


わたしとしては、今でもMMORPGをやりたい、という気持ちは大いにあるのですが、結局ぼっちになるのが分かっているので手を出せないでいます(笑

 

5.「鍛冶職人」たちは今後

 

ゲーム内で多くの「鍛冶士」を疑似体験してきたわたしは、現実でもこれからの時代、大いに「鍛冶職人」の可能性を感じています。

大量生産、大量消費の時代から、「個」に訴えかける時代に変化を遂げようとしている今、「鍛造」「板金」「溶接」「研磨」といった「鍛冶士」としてのポジションは生きてくるんではないだろうか、と思っています。

ローテクである鍛冶、ハイテクである3DプリンターやCAD/CAMによるマシニングセンタなどでの造形技術、これらを融合したローテク×ハイテクによる産業革命は近い将来、現実のものになるかもしれません。

 

「KENMAYA」としての活動に「彫金」や「鍛造」も近いうちに入れることをプランにしているので、腕に覚えのある職人さんは声をかけてください。

一緒に鍛冶屋やろうぜ!!!

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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